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茨城県つくば市の真宗大谷派・東本願寺(浄土真宗)常福寺:墓地分譲・葬儀 | |
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法話
仏さまのお仕事
「法事」といえば、亡くなった人の命日に行われる年忌法要のことを指しますが、本来「法を中心にした行事」という意味です。葬儀や日々のお勤めも含めて「仏事」といいます。仏事とは実は「仏さまのお仕事」のことです。 先日も伯母の葬儀があり、お参りに行ってきました。何度かのお参りのたびに孫たちは「正信偈」を声を合わせてお勤めし、それが終わると楽しそうに遊んでいます。自分の祖父母が亡くなった時を考えても、従兄弟同士、久しぶりに会って、なぜか楽しい時間でもありました。 子供にとって「死」は遠いものです。考えてみれば、大人でも経験したことがないので知りません。けれどもどこかでイメージを作って怖れているし、考えたくもないというのが正直なところでしょうか。何も知らなければとさえ思います。 人間とは、さまざまなことを知って生きてゆくものです。それは避けて通れません。それによって人生に意味が与えられもするのです。そして、その人生の両端には誕生と死があります。それは自分を支える命の内容ですから、それを見ずに喜んでも悲しんでも、土台のない家の様なものといわねばなりません。 お釈迦さまの最後の説法は、自らの死によって一切の「無常」を示すことでした。それが人間のすがたです。それを知ることから仏教は始まります。そこでは「生と死」のこの人生に新しい意味が見出されるのです。 「2000 教化冊子」真宗の生活より |
お墓参り
春の彼岸が近づいてまいりました。この時期になりますと、テレビをつけますとお墓に花を供えてお参りする人たちの映像が映し出されています。「お彼岸」は先祖を供養する儀式として、季節の風物詩というか、風景になっている感じがします。日本の年中行事の一つとして定着している「お彼岸」ですが、そもそも「彼岸」とは、何なのでしょう? 「彼岸」は読んで字の如く「彼の岸」と書きます。これは「此岸」、「此の岸」に対応した言葉なのです。 私たちは幸せになりたいと思いながら、毎日を暮らしています。不幸を望んでいる人は一人もいません。病気になりたくない、ガンになるなど、もってのほか、大切な家族や友達と別れたくない。そこそこ人並みに長生きして、最後は苦しまずに楽に死んでいきたい。幸せになるためには、たくさんの条件が必要です。でもこの条件が満たされないのは先祖の供養をおろそかにしているからだと言われれば、いてもたってもいられなくなります。この自分中心の幸せの物差しが、根っこのところで、私たちの生活全体を暗くしているのではないでしょうか。 「彼岸」にお墓に参って手を合わせるというのは、私たちに都合の良い幸福を満たすための条件ではなく、いま、「此の岸」にいる私たちの生活が、これでいいのかをあらためて問うことです。亡くなった祖先がどうなったかが問題なのではなく、同じように命を終わっていく私たち自身が、物質的な豊かさに振り回されて、無条件に幸せだといえる、本当に豊かな生活を見失っていると気づくことに他なりません。 「2000 教化冊子」真宗の生活より |
行事
1月 | 1日 | 修正会 01:00~ | 3月 | 18日 | 彼岸入り | 21日 | 彼岸中日 | 24日 | 彼岸明け 彼岸会法要 | 25日 | 蓮如報恩講(今鹿島十八日講) | 8月 | 13~16日 | 盂蘭盆会 | 9月 | 20~26日 | 彼岸 | 11月 | 第3日曜 | 親鸞報恩講(今鹿島十八日講) | 12月 | 第2水曜 | 佛器おみがき 華束餅つき | 第2土曜 | 報恩講日中法要 10:00~(どなたでも参加できます) | 31日 | 除夜の鐘 一年の無事を感謝 11:50より鐘はじめ(どなたでも参加できます) |
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